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〜 枝幸町 〜
Vol.63/平成18年02月発行
枝幸町・歌登町が合併し 今春、新「枝幸町」誕生!
●ACCESS GUIDE
・枝幸⇔稚内/2時間20分
・歌登⇔稚内/2時間40分
・枝幸⇔旭川/3時間15分
・歌登⇔旭川/3時間00分
・枝幸、歌登ともに札幌および旭川発着都市間バスあり
1939(昭和14)年9月、枝幸村から歌登が分村した際の役場旧庁舎前での記念撮影。

分村を進めようとする山側(歌登側)と、これを阻止したい海側(枝幸側)の対抗は熾烈だったようですが、この年の枝幸村議会議員選挙で山側が過半数を占めるに至り、分村が決まりました。ちなみに当時の歌登の人口は枝幸を凌いでいたそうで、議員数も多かったようです。

新「枝幸町」のまちづくり
みんなの「こころ」でつくるまち 
みんなの「優しさ」でつくるまち 
みんなの「活気」でつくるまち →
基本理念 こころが結ぶ「森と海」優しさ
      と活気あふれる北の理想郷
新町の町章

新町章は、ひらがなの「え」をモチーフに、森の町と海の町の融合をデザインしたものです。また、枠の菱形は、北海道を表しています。
■人口と世帯数 (平成17年国勢調査)
人 口/枝幸町7,528人 歌登町2,281人
    合計9,809人
世帯数/枝幸町2,962世帯 歌登町1,009世帯
    合計3,971世帯

■面積と人口密度
現在の枝幸町/509.14km2
現在の歌登町/606.51km2
新「枝幸町」/1,115.65km2
人口密度は1km2あたり8.79人

面積では道都札幌市と比肩する広大な町になります。町土の8割以上を森林で占め、オホーツク海に面する東部沿岸は延長51km。
新「枝幸町」の紹介
枝幸町と歌登町は平成18年3月20日に合併し、新しい「枝幸町」が誕生します。
ふたつの町が合併することによって、森と海のつながりや豊かな自然の恵みを生かした産業の振興、多面的なまちづくりが期待されています。
 "かにの町枝幸"は、恵みの海オホーツク海に面した、漁業を中心とする水産加工・農林業を基幹産業とする町です。特に、海明けとともに漁が始まる漁獲量日本一の「毛がに」は、最高級品として全国的にも有名なブランド。毎年7月に行われる「かに祭り」は、道内外からのたくさんの観光客で賑わいます。また、枝幸は本道初の公立図書館が誕生した地でもあり、その歴史の陰には、「日蝕枝幸」と呼ばれた皆既日蝕の観測所が取り持った日米の"友情と教育"の物語を秘めています。最近では、枝幸中学校合唱部がNHK合唱音楽コンクール、全日本合唱コンクール等、全国大会の出場常連校として活躍しています。
 "歌登"は、四方を山稜で囲まれた盆地で、北見幌別川、徳志別川沿いに牧草地や集落を形成する酪農業を主体とした雄大なフォレストタウン。緑の牧草をはむ乳牛の放牧風景も牧歌的で、町で生産される牛乳は、全国的にも有数の高品質乳として評価され、これもすべて豊かな自然と酪農家の日々の努力の結晶です。また、真夏日の暑さと冬のシバレの寒暖差は70度にもおよび、以前は馬鈴薯の生産も盛んで"歌登でんぷん"は全道一といわれました。「フォレストピア・森の中の理想郷」をテーマとした町づくりが進められ、健康回復村は、キャンパーやファミリーから強い支持を集めています。


■一度離れた「森と海」が帰ってきた
 歴史をひも解けば、1877(明治10)年に枝幸村戸長役場がおかれています。その後1909(明治42)年の2級町村施行によって枝幸村が誕生。また、1933(昭和8)年には、歌登に枝幸村役場出張所が開設され、さらに1939(昭和14)年、歌登が枝幸村より分村し、歌登村誕生という経緯を辿ることができます。つまり元々は枝幸も歌登も一つの村だったことが分かります。
 その分村によって枝幸は偉大な「森」を失い、歌登は恵みの「海」を失ったともいわれましたが、いま65年の時を経て両町は合併協定書への調印を行い、枝幸町・歌登町の成式合併が決定。本年3月20日からは現在の枝幸町および歌登町を廃止し、その区域をもって新たに「枝幸町」を設置することとなりました。再び一つの町となり、離れていた「森と海」が町に帰ってきた歴史的瞬間を迎えようとしています。
 しかしいうまでもなく、合併はゴールではなく、新町の新たなスタートです。


■新「枝幸町」は宗谷管内初の新設合併
 何かと企業間のM&A合併問題が話題になっていますが、市町村の合併協議は決して平坦な道のりではないと想像します。
 そもそも南宗谷では、2003(平成15)年11月に南宗谷4町の任意協議会を設置し、合併に関する協議を進めてきました。しかし、翌年2月に同会は解散。枝幸・歌登両町で協議した結果、合併協議のための法定協議会を設置することで合意し、2004(平成16)年3月23日、「枝幸歌登合併協議会」が設置されました。本協議会は、宗谷管内初の法定合併協議会となりました。そうして、同年4月6日、枝幸歌登合併協議会設立総会および第1回協議会が歌登町で開催され、具体的な合併協議をスタート。協議会会長には深井信朗歌登町長が就任し、「両町にとって身近で信頼できるパートナーに恵まれたことは、何よりも幸いである」とあいさつ。また、副会長の荒屋吉雄枝幸町長は「両町は、以前より他の町にない深い交流を行い、また親しい関係を築いて参りましたことから、これからの合併協議におきましても、お互い気心の知れた中での話し合いができるものと思い、また期待しているところです」と述べました。
 以後、毎月両町持ち回りで「枝幸歌登合併協議会」を開催。誰でも傍聴できるよう同会を公開し、広報誌『森と海』だより、ホームページを通して、積極的な情報公開にあたるとともに、アンケート調査などによって住民意識を反映しながら議論を積み上げてきました。


■みんなで新たな価値を生み出すために
 さて、両町が合併協議をはじめた背景には、地方分権や権限移譲の流れが加速する中、このままで十分な住民サービスを維持し、提供できるのかという問題や、地方交付税や補助金等の大幅かつ断続的な削減が、行財政運営の根本を揺るがす状況にまで来ていたことなどから、互いに共通する危機感を共有していたことが出発になっているものと思います。市町村合併特例法の元で行われた「平成の大合併」の促進の裏には、市町村の財政破たんの危機を解消する目的があり、枝幸・歌登両町のみならず、全道・全国の小規模な自治体の多くは、町の貯金である基金を取り崩すことで予算を組まざるを得ないといった事態に直面しています。
 加えて、右肩上がりの経済の拡大路線の終焉、少子高齢化、人口減社会の到来など、従来の社会構造が変化してきていることは、両町に限らずこの国に住む誰もが感じるところでしょう。しかしこの度の新設合併は、それらの課題に立ち向かいながら、互いの短所を補いつつ長所を伸ばし、長く続いてきた閉息感を撃ち破ることによって、新たな価値を生み出すきっかけになったともいえるでしょう。


■大きな森をもつ海は豊か
 枝幸歌登合併協議会のホームページと広報誌のタイトルは『森と海』です。新「枝幸町」では、北見幌別川、徳志別川という大河がすべて町内を流れ、上流下流が一つにつながった、文字通り「森と海」の町が誕生します。「大きな森をもつ海は豊か」という喩え通り、豊かな自然、豊かな恵みと実り、そして豊かな個性を、知恵を出し合いながらを醸し出していくことでしょう。
 季節はまもなく春。オホーツク海の冬の使者流氷も溶けはじめ、内陸のシバレもゆるみ、あらゆる命が輝く時を迎えます。産みの苦しみを味わった人々に吉兆をもたらす春であれと願わずにはいられません。

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