| 北限の水稲を拓き、守ってきた男は農業の心を伝える伝達者でもある。 |
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水稲発祥之碑
明治34年、本原野24号において南山仁太郎氏が福井県産の種子による苗植法で水稲を試作。2年後には上川産の種子で植付けし、かなりの収穫を得たという。これが遠別の稲作の発祥となり「稲作北限のまち」の歩みはここから始まったのである。また、仁太郎氏に倣って他の地域でも水田熱が起こり、のちに土功組合の設立(大正10年)によって灌漑溝も竣工し、遠別川一帯に急速に水稲栽培が本格化した。
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農事組合法人カントリー生産組合 理事
遠別農業高等学校教育振興会 会長
FMもえる ボランティアパーソナリティ
南山 仁嗣さん
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稲の遺伝子を北限に伝える
90年代以降、岡山県の遺跡から出土した稲の細胞の結晶(プラント・オパール)が日本の歴史を大きく書き換えようとしています。日本最古の6000年前の稲作がほぼ確認され、従来説の弥生時代を3000年も遡ることになり、学者の間では新たな論争を呼んでいます。起源はさて置き、確かなことは今から2000年前には、すでに世界最北の稲作が、本州の最北端津軽にまで伝わっていたということであり、日本に住む祖先たちは、その後も休むことなく、稲穂を北へ北へと根づかせようと列島を北上しました。
しかしイネ科の一年生作物である稲は、本来熱帯性の植物。寒さにはめっぽう弱く、並大抵の努力では津軽海峡を越えることができません。ようやく北海道最南端の渡島地方に稲作がもたらされたのは江戸時代に入ってからでした。やがて明治初期には札幌近郊へ。そしてついに今からちょうど110年前の明治34年、日本列島の稲作は、北緯44度43分の北海道遠別町に伝播するのでした。
開拓者精神を四代に渡って伝える
明治28年、政府により北海道の開拓方針をそれまでの資本家、あるいは華族といった大農場主義から個人による開拓へ転換してから、北海道への移住開拓熱のようなものが全国各地で沸き起こりました。その波に乗って、明治30年、池広団体と名乗る46名からなる一行が、貸付地出願の手続きを済ませ、越前国南条郡神山村字池ノ上(福井県越前市/旧武生市)から遠別原野への入植を果たしました。
北海道開拓を夢見たその団体名簿の中に南山仁太郎という名を見つけました。
その南山仁太郎氏こそが、南山仁嗣さんの曾祖父であり、遠別で北限の稲作に挑み成功させた偉人でもあるのです。
遠別川に沿ってのびる道々名寄遠別線の長い直線を下った24号沢川。そこには「水稲発祥之碑」が建ち、その稲作の遺伝子は代々引き継がれ、四代目(入植後)となる南山仁嗣さんは、今年も水田に流れ込む川の水温に気を配りながら5月に田植えを行い、約4ヵ月後、早くも冬の気配を含んだ北風を気にしながら、9月中旬に110回目の稲刈りを終えました。
「29年振りに南山家に生まれた長男として仁太郎氏の志を継いでほしいとの期待を込めて仁嗣と名づけられた」という南山さん。直系の稲のDNAとも言うべき日本人の魂は今日も健在であり、「農業は日本の心」を合言葉に、農の心を町内ヘ、地域へと伝える伝達者なのでした。
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北限で育ったもち米の品種は「はくちょうもち」。粘りとやわらかさが長持ちするのが特徴。お赤飯、おこわをはじめ、おもち、おはぎなど幅広く活躍しています。
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曲がっても美味しい。食べればわかる日本一の美味しさ。
カントリー生産組合の元気印「ぴちぴちきゅうり」。
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食の意味を若者に伝える
遠別農業高等学校は昭和27年、天塩高校遠別分校として開設。その後に農業単置校、同53年に現在の校名になりました。生産科学、食品科学の2コースが設置され、卒業生の進学、就職率は常に高く、昨年度も内定率100%を誇ります。
そんな同高校には、ユニークなラジオCMがあります。
「おまえ進路決まった?」「おれ、大学」「私、公務」「えー、みんな農家になるんじゃないの?」
稚内市と留萌市のコミュニティFM放送局から流れるそのCMを作ったのは、卒業生や住民らで組織する遠別農業高等学校教育振興会。例えば同会では町外から入学してくる学生のために寮費の一部を助成したり、部活動の遠征費を補助したりしてきました。驚くべきことに、3年生全員が夏休みに体験するオーストラリアでの海外研修の渡航費用を全額補助しているのですから、その支援がいかにホンモノであるかが分かるでしょう。
南山さんはその会長として留萌・宗谷管内をはじめ道内各地を飛び回り、遠別農業高校の大きな可能性を中学生に説きながら一人でも多くの新入生確保に努めています。
「CMの通り、この学校に集まってくるのは農業の後継者じゃなくてもいいのです。どんな仕事に就こうとも、家庭に入ったとしても、農業や食品にかかわった体験がのちに生きてくるのです。実は農業を大事にすること、イコール消費者を大事にすることでもあるのです。食の意味、農業への理解に必要なのは消費者教育ではないでしょうか。」
ちなみに同校は研究活動も盛んに行われ、農業の知識や研究成果を競う日本学校農業クラブの競技会、通称農業甲子園では、全国大会常連校として有名。旭川や帯広の名門と呼ばれる農業高校にも決して負けないレベルにあります。
命の輝きを声で地域に伝える
南山さんがさらに広域で食と農、遠別の話題を伝えているものがあります。それが毎週土曜日の朝9時過ぎからはじまる「FMもえる」の「南山の元気印アワー」。その番組のパーソナリティをはじめてもうすぐ7年目になります。
周波数は76.9MHz。受信エリアは留萌市から半径約30キロの範囲。だから当然にも地元遠別町では聞こえません。
果たしてその目的は何なのか。それは「遠別にFMコミュニティ放送局をつくること。」まだ記憶に新しい今年の10月、記録的な豪雨に見舞われた奄美大島ではライフラインが遮断され、救助作業も難航を極めました。電話や通信が途絶えた時、最後の公共的役割を果たしたのが地域FM放送でした。「極論すればFM電波は地域社会の命を守るネットワークです。」その日が実現する日まで、南山さんはオロロンライン110キロの道のりを、目印となる黄色い車で通い続けます。
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遠別町や町の特産品、遠別農業高校、FMもえるなどのPRを載せ全道各地を
駆けめぐる南山さんのクルマ。色は見ての通り元気印のショッキングイエロー。
■お問い合わせ
“農業は日本の心”
農事組合法人カントリー生産組合
天塩郡遠別町字中央368
TEL & FAX. 01632-7-3550
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