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〜 旭川市 〜
Vol.79/平成22年3月発行

仕事に、ものづくり集団の厳しさと、楽しさが見える。屋外広告とあらゆる看板、ディスプレイの「(有)三広堂」。
代表取締役社長 鈴木 敏治さん 有限会社 三広堂
代表取締役社長

Toshiharu Suzuki

鈴木 敏治さん
昭和26年7月生まれ。5歳の時、家業の移転に伴い旭川市へ。大阪芸術大学卒業。その後すぐに家業の三広堂に入社。

事務所に掲げられていた一服の額縁。父は書もできた。
 昭和25年、旭川市の人口は12万人を数え、かつて第七師団を有した軍都の時代よりもぐんと人口が増えました。道内トップの札幌市は約31万人。釧路市はまだ10万人に満たなかったその年、戦後になって初めての博覧会(北海道開発大博覧会)が旭川の常磐公園で行われました。
 「おそらく父は博覧会へ行った時に、同業の仲間か誰かに、こっちに来ないかと誘われたのか、あるいは当時はちょうど高度成長期に差しかかった頃でしょうから、街の発展を確信したのちに旭川に行こうと決めたのかも知れません」。三広堂の鈴木敏治さんの母、現会長は、昭和5年の樺太生まれ。不運にも、わずか1歳の時に漁師だった父を海の事故で亡くし、少女期を祖父母のもとで過ごしたと人伝に聞きました。連絡船での戦後の引き上げを経験し、やがて看板業の夫と結婚。悲惨な戦中、そして戦後まもなくの想像を絶するほどの激動期に青春時代を送ったふたりは、何よりも家庭を大切に思ったはずです。

カッティング・システムと大型インクジェット
 家族はさらなる幸せを求め、昭和32年7月、釧路から旭川に移り住みました。

 敏治さんの父は働き者で、人一倍の努力家でした。いくら人口が増え、伸び盛りの街だったとしても、また、いくら良い腕とセンスを持っていたとしても、知らない街で新しく看板の仕事を取るのは、そう容易なことではないはずです。「当時の同業者は30〜40社はあったと思いますよ」とのこと。しかしこの新規参入者は、来旭から10年を経る頃には、すっかり旭川を代表する看板業者として定着し、ついに昭和44年に有限会社を設立しました。ところがその5年後に、49歳という若さで他界してしまいます。まさに一家は、働き盛りの大黒柱を失ってしまうことに・・・。
 「私が大阪芸大を卒業し、デザイン関係の会社に勤め始めたその矢先でした。それで急きょ旭川に帰ることになったのです。と言ってもすぐに継いだわけではなく、母が二代目となりました。ですから私で三代目です」。

すべてコンピュータを使ってデザイン
 神様は何という試練に満ちた運命を母栄子さんに与えたのでしょうか。間違いなくその頃は、女社長はめずらしかったでしょうし、しかも必ず現場が絡む看板の仕事は男の世界そのものでした。ややもすると横柄な態度を取られたり、納期や見積り面でもかなり強引な取引を要求されたのではないでしょうか。

 しかし、親子でその荒波を乗り越え、圧力をはねのけてきたからこそ今日の三広堂があるのです。
 「私の基本的な考えは何も変わらないのです。父母の代に築き上げてきた個々のお客さんを大切にすること。それだけです。つまり、与えられた仕事に責任をもって取り組むこと。一つひとつの仕事を大事にすること。それに尽きます」と語る三代目は、すでに父が生きた年齢を超え、齢60に迫ろうとしています。
 「看板の歴史も大きく変わりました。昔は絵筆1本あればよかったのです。板ガラスでつくった行灯に、塗料で直接色や線、文字や絵を描きました。やがてアクリル樹脂がガラスに取って代わり、カッティングシートが出現しました。うちでも住友スリーエムのカッティング・システムを17〜18年前に導入しました。さらに、10年ちょっと前にコンピュータの時代を迎え、マックやウィンドウズのパソコンから大型のインクジェット機で繊維シートを出力できるようになりました」。
社員は道具じゃない。
機械でもない。
人間なんだから、
自分で考え行動してほしい。
鈴木敏治
現在、旭川市内の同業者は60〜70社あるとされる。

その中にあって、三広堂の強みは「提案力」にある。

 そんな風に目まぐるしく変化していった屋外広告、看板、ディスプレイの世界にも、実は普遍的なものもあります。それは「技術職人的な面」と「芸術的な面」の両方のチカラをそなえた「プロのものづくり集団」でなくてはなりません。
 「早いもので旭川に帰ってから35〜36年になりますが、何よりの喜びは、永くお客さんとお取引いただいていることです。旭川トヨペットさんとは50年位のおつき合いになります。トヨタオート旭川さんがネッツ店へと社名やロゴマークを変更する時にも全店舗リニューアルの仕事を任せていただきました。稚内信金さんとは確か信金さんのマークができた時からのおつき合いだったと記憶していますので、30年来になると思います。地元の建築・建設会社とのおつき合いも永く、商業施設や病院などの新築や増改築に絡んだ仕事もたくさんいただいています。旭川市内の病院で言えば、看板の約半分はうちで手がけているように思います」。

工場では旭川冬まつり会場の看板が出番を待っていた。

イベントやキャンペーンの仕事も多い。

 そんな同社では、現在、大きくてお金のかかる、いわゆる大型看板はおすすめしていません。大きいから効果がある時代はとっくに過ぎ、小さくても意味のある高感度なものづくりを心がけています。
 「私は社長ではありますが今でもデザインをしますし、営業も見積りもします。そして当然現場にも行きます」と、当分の間、現役をやめるつもりはありません。

 しかしながらこうつぶやきました。
 「ちょうど息子が札幌で今、同業の仕事をしています。ちょっと厳しい親の意見ですが、もし彼が帰ってきても、自分自身でこの会社に居場所を見つけてもらわなければ困るのです。今の私のポジションに座って、そのまま仕事ができるほど社会は甘くはないと・・・」。それが若くして父を失い、母とともに厳しい時代の洗礼を受けてきた者の務めであり、真に子を思う親の気持ちなのかも知れません。

 看板は職種を示します。特色も表します。さらに、街を美しくしたり、楽しませるといった演出力、周りの景観を考慮した都市計画まで考えた発想とデザイン力こそが、この先ますます求められるようになります。息子さんが、その期待に応える日は近いのだと思います。

[DATA BANK]
有限会社三広堂
本 社/旭川市豊岡4条4丁目5−22
TEL:0166−31−1385 FAX:0166−35−0331
第2工場/旭川市豊岡4条5丁目
営業所/札幌市東区北44条東14丁目ノール44 1001
TEL:011−742−3013 FAX:011−742−9629
代表者/代表取締役会長 鈴木 栄子
    代表取締役社長 鈴木 敏治
設 立/昭和44年
資本金/500万円
従業員/6名
《営業種目》
トータルサイン 屋外広告全般 ディスプレイ
カーマーキング コンピュータグラフィックス
■ 企画 ■設計 ■施工
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