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〜 稚内市 〜
Vol.76/平成21年6月発行
互いに助け合い、支え合う。海の男の「シーマンシップ」がボランティア活動に生きている。
中澤 和一さん
稚内市民観光ボランティアガイド
会長 中澤 和一さん
(元第七十八操洋丸漁撈長・通信長)
最後に乗った船「第七十八操洋丸」の水進式
元漁船員の親睦団体「稚内海友会」、底曵船の元船頭さんでつくる「夕凪会」の要職に就き、行政とのパイプ役としても活躍中。これらの会の中でも清掃などのボランティア活動に取り組んできました。また、来年で10周年を迎える稚内宮城県人会の事務局長。趣味も多彩で、キーボード演奏、書道、最近では御詠歌(梅花流)にも精進し、奥さんのすみ子さん曰く「祭壇の前で唱えるとすすり泣く声が聞こえる」ほどだそう。夫婦揃って四国八十八カ所お遍路の旅を遂げたり、今年で8年連続出場となる利尻島一周マラソン(悠遊覧人G)も恒例化しています。現在、市立こまどり病院の警備員(東京美装興業(株) 北海道稚内出張所 勤務)。
稚内観光マイスター(中級)でもある中澤さん。稚内にはかつて「ハマナスの会」という観光ボランティア組織があったとのこと。しかし活動が休止していたため、マイスター認定と同時に稚内市民観光ボランティアが再スタート。一方、北海道観光マスターも昨年11月に取得。40%の合格率だったとか。
黄色いジャンパーと緑の帽子が目印の稚内市民観光ボランティア。

稚内の観光名所で見かけたら気軽に声をかけてみましょう。カメラのシャッター押しもOK
半年先まで埋まっているボランティア・スケジュール
 「これが私のスケジュールです」そう言って中澤さんが差し出した新聞紙サイズの月めくりカレンダーを見てビックリ。六月、七月、八月…めくってもめくっても、空白のスペースがほとんどありません。さらに驚いたことに、カレンダーに細かく書き込まれたその予定の大半は、ボランティア活動。
 稚内観光マイスター(中級)であり、稚内市民観光ボランティアガイドの会長を務める中澤さんには、今年も宗谷岬やノシャップ岬、北防波堤ドーム、稚内公園など稚内の観光名所を訪れる観光客への案内役やカメラのシャッター押しなど、たくさんのボランティア活動が待ち受けています。さらに二〇〇九年は“間宮海峡発見二〇〇年記念”事業として間宮林蔵にちなんだ様々なイベントが稚内で開催されますが、大手旅行代理店が九月に実施する“感動案内人”プランの中心メンバーとして、旅行者の感動体験づくりもサポートします。数名で行うその案内役だけでも二十四回。例年以上に忙しい中澤さんのボランティアシーズンがまもなく始まろうとしています。
 また、獅子舞の一種である“虎舞”の普及に身銭を切りながら二十年以上取り組み、いまでは稚内の風物詩として欠かせない存在となっています。北門神社や身近な町内会のお祭りでの奉納や舞い、幼稚園や老人ホームの慰問などでもお馴染みです。発表の場は国境を超えサハリンやブラジル、アルゼンチンでも好評を博す一方、郷土芸能の太鼓(稚内海峡太鼓保存会所属)の伝承にも熱心に取り組んでいます。加えて少年補導員や民生委員などの公職も多く、それらも決して片手間でできるような仕事ではありません。
 社会の誰かが自分を必要としている限り、中澤さんはたとえどこであろうとも駆けつけ、福祉活動と文化活動に明け暮れています。

海のマチに生まれた男が選んだ仕事は「無線通信士」
 中澤さんの故郷は、三陸海岸の中ほどにある宮城県唐桑町(現・気仙沼市)。岩手県陸前高田市との県境に位置し、太平洋に面したこの町の大半は、東に突き出た唐桑半島にあり、岩礁や小島、岬など複雑なリアス式海岸線に富み、町内には十六もの港があるそうです。その景観と風情を活かした観光や農業も盛んではありますが、何といっても産業の中心は漁業。昔から遠洋まぐろ漁に従事する者が多く、町内には壮大な入母屋(いりもや)造りの日本家屋、通称“唐桑御殿”あるいは“まぐろ御殿”と呼ばれる立派な家屋が並び、その数は二百軒を超えるとか…。生家は米屋(現・コンビニ)でしたが、そんな町で生まれ育った中澤さんもまた、必然であるかのように同県のまぐろ船に乗り込むことになりました。選んだ職業は、モールス符号による通信を行う無線通信士でした。
 昭和四十年三月に塩釜市立塩釜高等無線学校(廃校)の電信科を卒業した中澤さんは、まさに団塊世代のど真ん中。高度経済成長期には“金の卵”と呼ばれはしたものの日本はまだまだ貧しい時代でした。「水産高校へ行けば三年。でも無線学校へ行けば最短二年で第三級無線通信士の国家資格を得ることができましたから。合格後(のちに二級取得)は女川や三重県のカツオ船に乗りました」。そんな中澤さんが稚内に通信長としてやってきたのは昭和四十三年のこと。「もともと北海道への憧れの気持ちもありましたが、本心では早くお金を貯めて故郷に帰ろうと思っていたのです。ところが居着いてしまいました」。

稚内で、北の海に生きる沖合底曵船の漁撈長へ
心踊らせ、懐かしむように打つ電鍵。個々の通信士には打ち方のクセがあり、誰が送信しているのか分かったと言います。
 通信士と言えども海の男には体力が必要です。見るからにガッチリとした体型の中澤さんでも、数ヶ月以上におよぶ遠洋漁業は相当キツかったとか。「稚内では近海の沖合底曵船でしたから、船での生活は日帰りから一週間。それがラクに感じたことと、いい先輩達との出会いがあり、すっかり稚内が気に入ってしまいました」。以来、中澤さんは通信長として北市漁業(株)の第二十八操洋丸に乗り込み、平成十二年の第七十八操洋丸を最後に海上生活と別れを告げることになります。その間、昭和六十一年から十三年間は、漁船の最高責任者である漁撈長(船頭さん)としての責務を果たしてきました。
 「ちょうど五十三歳の時に船を下りましたが、私は恵まれていると思います。稚内では昭和五十二年の二〇〇カイリ法施行の年と六十〜六十一年の底曳船の大幅な減船の時にも離職を免れましたから。さらに船員は当時五十五歳から年金を受給することができましたし」。むしろ、いまでも良い思い出ばかりが残っているとのこと。「二〇〇カイリ規制以前は樺太(サハリン)沖へもよく行ったものです。樺太の西海岸や沿海州、東海岸は多来加(たらいか)湾と呼びますが、主にスケトウ、ホッケ、タラ、カレイ、ニシンを求めて出かけました。間宮海峡へも行きましたよ。規制後のロシア二〇〇カイリ内での操業には、漁業交渉に基づいてロシア人監督官(オブザーバー)の乗船が義務づけられましたが、他の船よりも少しだけ多く魚が獲れるようにロシア人とも仲良くなりました。ロシア語やロシア民謡を習ったりね。彼らの機嫌を損ねると、魚を獲らせてもらえなくなるので・・・」船の時代の思い出話はいつまでも尽きません。

ボランティア活動に相通ずる船乗りのシーマンシップ
 中澤さんは断言します。「船乗りの奥さんは幸せですよ。料理でも洗濯でも何でもできますから。キレイ好きだし、助け合いの気持ちが強く、実際私も家にいる時は家事を家内と仲良く分担しています」。確かに海上という不確定要素の多い環境下では、限られた船内、乗組員、物資の中で耐えられる強靭な精神力と体力、チームワークが求められます。「自分のことは自分でする。自分の行動に責任をもつ。常に安全を心がける。仲間を大切にする。そして共通のルールをきちんと守る」船乗り達はそれをシーマンシップと呼びます。
 「困った時はお互い様。もしも近くの船が緊急信号を発したら、すぐに救助に向かいますし、他人との協力や支援を常に必要とするため、我々船乗りには“シーマンシップ”が植えつけられているのです」。船を下りた中澤さんの活動の場は、当然のようにボランティア活動へとどんどん広がっていったのです。
 シーマンシップ、それはボランティア精神の源であり、人類の愛と平和に根ざした真に優しい男の生き方を指しているのかも知れません。中澤さんの隣で孫を膝に抱き、ほほ笑む奥さんのすみ子さんが、ことのほか幸せに見えます。家庭を大切にし、家事も旅行もスポーツもいつも夫と一緒とのこと。中澤さんは人生という船の船頭さんでもありました。


中澤さんの宝物
先輩からいただいた手づくりの電鍵
「トン・ツー」とも言われるモールス信号。信号には、短い符号「ト(トン)」と長い符号「ツー」の二種類しかなく、その複雑な組み合わせによってアルファベットや数字、記号、さらに日本語のカナ文字を無線によって送受信します。そして符号を送信するために打つ電鍵(でんけん)を自在に操り、同時に受信した符号を次々に翻訳するスペシャリストが通信士です。通信士になるためには第一級〜第三級総合無線通信士の国家資格に合格しなければならず、長い間船舶の花形の職業でした。

ところが近年はデジタル通信技術の発達によって衛星(インマルサット)を利用した電話、ファクシミリ、テレックス、GPSやパソコンなどが次々と台頭し、ついに1999年、航海の安全もGMDSSという世界的なシステムへ全面移行し、モールス信号の時代は幕を閉じてしまいました。


毎年行われる幼稚園慰問活動。園児達は泣き出したり喜んだり。

稚内しんきんの若い職員が虎舞を伝承か!?

(年金友の会忘年会)

虎舞は海上安全、大漁祈願、無病息災、家内安全などを祈願

還暦祝いにて。子どもは4人。現在6人の孫に恵まれています。

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